2011年12月04日

通訳案内士2次試験始末記

風がちょっと強いけど、いい天気。初冬ってかんじですな〜。で、2次試験に出かけた。1次受けたときは暑かったよな〜。季節は確実に巡ってるわけで、これも日本的事象であるのう。きのうは結局何もせず。エレキギターをオープンGにチューニングして、"Brown Sugar"のイントロをチャカチャカ練習。いまさらやったって、何もならんワイ。それに余裕あるように見せてると、案内士試験のほうで油断するかもしれんしな。せんか。

場所は1次と同じ龍谷大学。あ〜じゃまくさい、京阪沿線はワシ行きにくいんやがなとブツブツいいながらおけいはんの特急に乗る。夏と違って、えらく混んでる。京都観光の人やろな。東福寺に紅葉でも見にいくと思料。で、深草で降りて龍大へ。11時半くらい。夏と違って、閑散としとるな。あれだけおったガイド受験生はどこいったんや。

よく考えたら(考えなくとも)2次にいった人は少ないし、2次受験者の午前組は面接中か、終わっても監禁されてる(問題漏洩を防ぐため)んだった。で、ちょっと早いけど京都第一旭(京都では有名)でラーメン食った。大阪の主婦さんに試験前によくそんなノンキなといわれたけど、そんな変かな?お腹すくやん。

12時から受付開始。12時25分くらいに12時受付開始組(6人くらい?)はぞろぞろ受験者待合室へ。すでに人が待ってる。何時の受付組なんやろ?待合室には6人×5組で30人いた。男性のほうが多かったのはちょっと意外。男女ともこういってはなんだが、年齢層が高いな。どうみても後期高齢者とおぼしきオジイサンまでいた。すげえな、と感心したけどガイドでける体力あるんかいなと余計な心配。男性の服装はネクタイ着用は半分くらい。ワシはグリーンのツイード、黒のタートル、グレーのフラノのズボン。別に変な服装ではないと思うんだけどな。ダウンジャケットの兄ちゃんもいた。

で、そこでまた待たされた。なんにも持ってこなかったので、ワシは英字新聞を読んでた。なんか手製のメモや市販の参考書を広げてるひとあり、瞑想に耽ってるひとありでさまざまである。第一陣が12時50分頃面接室へ。6人一組だから、6室面接ルームがあるものと思われた。で、13時5分ごろ第二陣のワシも出発。すぐに面接かと思ったら、面接室の横で待つんである。やたらによく待つ。で13時15分くらいに「ドーゾー」と面接開始。他の人はみな"Good Afternoon!"と挨拶して入室してたので、ワシは"Hello"ということにした。(ぜんぜん意味はないけど。) 

面接官は若い男性ネイティブと中年の日本人。女性のネイティブの声も聞こえてたので、「若いねーちゃんのネイティブちゃうんか」とやや落胆。しかし声だけだったので、若いねーちゃんかどうかわからんわな。

で、型どおり名前とどこからきたのかと訊かれた。
「でんすけといいます。兵庫県の西宮市からきました。有名な甲子園球場のそばに住んでいます」
英検のときもいっつもこれやった。「甲子園球場」というとなぜかみな"Wow!"といってくれるので助かる。

第1問。
「キモノと浴衣はどう違うのですか」
ちょっと緊張してたのか、「着物と浴衣の違いですね」と確認してしまった。
「着物は日本の伝統的なフォーマルウェアです。浴衣はカジュアルな着物です。浴衣は・・・くつろいでるとき・・お風呂のあととかに着ます」ちょっとヘドモド。やった問題なのになあ。

第2問。
「日本に仏教はいつ着たのですか」
「仏教は中国から朝鮮半島を経て・・6世紀中ごろに日本に紹介されました。神道という土着宗教があるにもかかわらず、天皇や貴族はこれを熱心に受け入れました」

第3問。
「◎×△国技館はどこにありますか(なんですか、だったかもしれない)」
◎×△を読み間違えたのかよくわからない発音である。しっかりせんかい。もう一度いったけどこれもまたわからない。怪訝な顔をしてると、日本人面接官が「両国国技館ですよ」と助け舟。うなづいて、
「国技館はスモーレスリングを行う施設です。1970年代?か1980年代に建てられました」とまでいったら、もう次の質問に入りかけてたのであわてて「隅田川のそばに建ってます」と付け加える。

第4問。
「日本の子供が好きな食べ物を3つ挙げてください」
これは困った。ワシ、子供おらんしな。
"It's tough question....as I have no child..."とヘドモドしながら
「ハンバーグ・・・シチュー・・・カレー」文章になってない。何かいおうとしたら、すぐに次の質問。

第5問。
「なぜ日本にはこんなにたくさん英語の単語があるのですか」
ちょっと困る。
「日本は・・・島国であり江戸時代には鎖国していましたのでとても孤立していました。明治維新後、西洋の技術を取り入れるために熱心に諸外国の情報を取り入れました。また、イギリス・アメリカは世界をリードする国家だったため、日本語にはたくさん英語があるのです」

こんだけやったかな。それから日本語になって「通訳案内士になったら、どういう風なことを行いたいと思いますか」日本語なのでテキトーに答えた。終わってから、また別室に行って解散までまた待機。やたらよく待つし、なんか監禁されてるみたいでアウンサン・スーチー女史の苦難はいかほどのものだったのかと考えてしまった。

しかしあれやな。どんどん質問が飛んでくる。なにか付け加えようとしてもすぐに次、だから「〜は〜です」と答えたらそれで終わり。ぜんぜんインターアクトなんかなかった。ええんかいな。

特にすごく口ごもることはなかった。ぺラぺラってかんじでもなかったけど。ワシは英検2次はなぜか「反応」は3回中2回「良い」だったので、そういう長所はあるんかもしれんな。発音はメチャクチャですが。

どーなんかな。7割くらい通ると考えればいけるような気もするが、他の人のレベルがわからないし。まあもう終わったことだし。通ればうれしいかなってかんじです。

帰りはJRにした。稲荷駅まで歩く。夏に1次受けたときは、東京まで直行だったのでゴロゴロとキャスターをひっぱっていったっけ。あれから・・・3ヶ月ちょっと? 夏はこのまま新幹線乗ったよな〜シンドかったな〜と思いながらちょっとしんみり。

面接はもっと上手く言えたのかもしれないけど、ふつうなんか聞かれたら少し考えてから大体のことを答えてから内容をふくらますよな。いきなり「両国国技館は東京の隅田川のそばに建っています。日本の国技、相撲の本拠地として年に3回、本場所と呼ばれるトーナメントが開催されます」なんて答えられないよな〜。そういう立て板に水の説明をせなアカンのかもだけど、さすがにそこまでがんばってやるつもりにはなれんな〜。

まあこれでワシの英語放浪も一区切りってかんじ。来年受けることになったらどうしようかな(汗)。
posted by デンスケ at 17:56| Comment(14) | 通訳案内士試験 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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