2011年11月10日

Farewell,Smokin' Joe

ジョー・フレイジャーが亡くなりましたねえ。先日の北杜夫氏といい、年少時代に親しんだ名前がこういったかたちで出てくるのは寂寥感が強いですなあ。ワシは小学校から中学校に上がるころ激烈なプロレスファンだったので、「ゴング」という雑誌をずっと講読していた。ボクシングも併載されてたから、TVのボクシング放送もかかさず見ていた。

英字新聞もCNNも元ヘビー級世界チャンプの死というだけでなく、「20世紀のアイコン」がまたひとり、ってかんじの扱い。どれもこれもモハメド・アリとのかかわりであるけどー。60年代アメリカのポップカルチャーに非常に興味があるワシとしては「むむむ」と思うできごとでした。

アリが"I Ain't Got No Quarrel With The VietCong...No VietCong Ever Called Me Nigger.”と言い放ち兵役拒否→チャンピオン剥奪とボクシング界からの追放の間に王位を襲ったジョー。1971のこの二人の決戦は確か2月だったか、3月だったか。とにかく中学校上がる直前だった。熱烈なボクシングファンだった父はアリを応援していたので、不人気なジョーをワシは応援してました。で、アリを判定で下したジョーは「真のチャンプ」として君臨するわけで、当時は「歴代ヘビー級最強」みたいな扱いでしたなあ。

ジョーの不幸は、ここにジョージ・フォアマンが絡んでくることではなかったか。とにかく当時のフォアマンといえばなにか人間でないロボットのような不気味な強さでしたな・・・。

1973.1.22 世界ヘビー級タイトルマッチ フレイジャー×フォアマン


ひでー。「虐殺」というより「屠殺」ってかんじですな。2Rで6回ダウン。フリーノックダウンだったのか。しかしもっと早い段階で止めなくてよかったんかいな。魔神のような強さでそれこそ「歴代ヘビー級最強」の名を欲しいままにしていたフォアマンを「キンシャサの奇跡」で屠ったアリはその神話の頂点に達するのだけど、さらにジョーとアリの因縁は続くことになる。



「スリラー・イン・マニラ(1975.10.1)」でアリの王座にこんどは挑戦することになったフレイジャーだったけど、アリの口撃は執拗で残忍だった。「アンクルトム」「ゴリラ(マニラのrhyme)」と延々とジョーをからかい続ける。試合は壮絶な打ち合いの末、14R終了時になおも戦おうとするジョーをセコンドが制し、アリの勝利に帰するわけだけども、アリも「グローブを外してくれ、もう戦えない」とセコンドに懇願していたらしく、この二人の「運」というかなにか宿命じみたものをかんじる。しかしフレイジャーがなにをいってるのかサッパリ?なのだけど、誰かわかるひといますか。

非常に皮肉なことに、アリのボクシング界復帰を願い当時のニクソン大統領にまで面会し懇願していたのはほかなならぬジョーなのであって、盛り上げるためとはいえボロクソいわれ続けたのは気の毒すぎる。マニラの決戦前、ジョーの練習場に乱入したアリは"I'm Champ, You're Nothing"と言い放ったらしい。

アトランタ五輪の点灯式、最終点火者として現れたアリに全世界は涙したわけだけども、ジョーだけは
あいつは火の中に落ちりゃよかったんだよ
と超本音トークなのも、やむをえないというかうなずけるというかー。

ボクシングに関するエピソードはほんとに面白いの多いね〜。光と影というか。

アリの名言、「蝶のように舞い、蜂のように刺す」は"Float like a butterfly, sting like a bee.” なん
ですね。danceじゃおかしいよなあ、そういわれれば。その他のアリの名言はここ。英語の勉強になるなあ。

しかし、いまのすこし肥えたアリはだれかに似てるなあと思ってたら、チャビー・チェッカー。似てると思うのワシだけかいな。
posted by デンスケ at 07:27| Comment(7) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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