2011年07月30日

読書2冊

お暑うございます。相変わらずのヨタ話でござりまする。

和書の類はほとんど読まないのでございます。なんつっても、こう見えてもインテリですのですぐに読めちゃう。いくらでも読めちゃうので、オアシがいくらあっても足りやしません。インテリってのも困ったもんですな。お給金は新世紀になってこのかた、ほとんど上がってないどころかむしろ値切られちまってる。

てなわけで、英語で書いてある本を読むことにしたら、これが時間がかかるのでなかゝ塩梅がよろしい。機嫌よく洋書を読んでたら、なんだか英語のほうもちったあ進歩いたしまして、ますますインテリに磨きがかかっちまったのでございます。いやあ、どうにも困ったもんでー。

和書をひさびさに2冊読みました。

「昭和の藝人 千夜一夜」(矢野誠一・文春新書)
昭和の藝人.jpg

古い芸人さんたちのエピソードを集めた軽エッセイでございます。東京の芸人さん中心だからでしょうか、東京の噺家中心で、漫才のかたはあまり扱われてない。上方の芸人さんもほとんど出てこないのですが、「吾妻ひな子」さんが出てきたのはうれしかったですね。


まだ桂枝雀が「小米」だったころ、「オールナイトバチョン」という深夜ラジオでひな子さんとパーソナリティを務めておられましてな。よく聞いたもんでござります。ひな子さんは「ミスワカナ・玉松一郎」の弟子やったらしいですな。これは知らんかったです。ひな子さんが亡くなられてもう30年以上ですか。亡くなられたときはまだ55歳やったんですね。(だんだん上方落語っぽくなってきた。)

三波伸介さんも亡くなられておおかた30年ですか。行年52歳。そんな若かったんかいなと驚きますね。いまのワタイと同じ年齢ですな。ああ、自分もそんな歳いったんかいな、とシミジミいたします。なかなか楽しく読めましたが、昔の芸人さんですから「ヒロポン」の話がよくでてきます。「ノンキ節」の石田一松ゆう方は政治放談で人気を集め、終戦後代議士になられたのですが、当選記念にプラチナで「注射針」を誂えたそうで。国会の質問前にはワイシャツのうえからブスッと、なんて話も載っていて、いくら昔は合法やったゆうても「炙った」おかげでパブリックエネミーNO.1みたいな扱いされた女優さんとの落差を思うとなんやこう、切ないもんがおますな。

なかなか哀歓に満ちた本で面白かったです。しかし50過ぎた自分の子供の頃の芸人さん中心ですから、お若い方にはわからないでしょうな。それにしても、昔は東京の落語家もよくTVで見かけたものですが、いまや関西ではほとんど見かけることがありませんね。時代は変わったもんです。

もう一冊。シンドイのでこっからはフツーに書く。

「累犯障害者」(山本譲司・新潮文庫)
累犯障害者.jpg

ヤマモトジョージっても、サブちゃんの弟子の歌い手さんではございません。元国会議員で、秘書給与流用で有罪となり実際に服役し、その獄中体験から現在は福祉の分野でご活躍されとられます。獄中体験ってのはですね、服役囚の約3割が「軽度知的障害者」、測定不能な者を合わせると4割にも及ぼうかという事実を見、また彼らの多くが再犯で刑務所に戻ってくるという現実を見たこと。

これまたえらく昔の話なんだけど、沢木耕太郎の「人の砂漠」というノンフィクション(名著)のなかに更生施設「かにた婦人の村」のエピソードが扱われていて、娼婦の何割かは知的障害者であるってことは知ってた。状況はいまも変わっていない。

この作品の中にも、身を売って生きてきた女性のエピソードが多々。切なかったのは、こうした女性たちには「異性」や「恋愛」に異常なまでの執着を見せる、ってくだり。「あたしみたいなバカでも人間なのよ、でもね、好きな人ができて付き合っても、すぐにバカがばれて捨てられちゃうの」「あたしを抱いてくれた男の人はみんなやさしかった」

売春は倫理的にも、また搾取され覚醒剤漬けにされたり、あげくは殺されたりとか危険が高いのでよくないことだと教えても、彼女たちの居場所やレゾンデートルは?いう根本的な疑問は解決されることはない。10年ほど前だったかな、「君は小人プロレスを見たか」という本を読んだことがある。「小人プロレス」はフリーク・ショウの一種であることは間違いなかったろうが、レスラーは誇りを持って仕事をしていた。

ところが、「障害者を見世物にするのはけしからん」という主婦の投書からマスコミがこれを扱い、小人プロレスは廃業をやむなくされる。「可哀想な障害者」を苦役から解放してメデタシメデタシであるが実際は真逆で、誇り高き小人レスラーは単に仕事をなくし、生きる糧を失っただけという現実があるのだ。

刑務所や精神病院がセーフティネットとなってる現実から、著者はいう。「福祉がもっときめこまやかにこのひとたちのことをかんがえなければ」そのとおりだと思う。しかしどうやって?結局のところ、福祉のあり方はタックスペイヤーの総意によるのだ。「障害者自立支援法」ができ、福祉関係者から「自立ができないから福祉をかんがえなければならないのに、実質的な切捨てだ」という声をよく聞いた。

社会全体が若く、活力にあふれた時代ならまだなんとか考えられただろうが、いまは健常者でも老々介護・年金があるのかといった問題をかかえている。そこでさらに障害者福祉をかんがえる余裕があるのだろうか。結局のトコ、クリスチャニティのような組織しかないんじゃないかと思うんだけどー。


聾唖者にとって、健常者の「手話」というものはきわめてわかりにくい(聾唖者どうしの手話は、上下関係や時制といったものが日本語のそれと大きく乖離したものであるんだとか)とかの事実も衝撃的だったな。よくNHKで手話ニュースあるけど、あれもひどく理解しにくいものらしい。また、聾唖者にとって「9歳の壁」というものがあるらしい。どうしても情報のインプットが限られてくるので、知的レベルは多くが9歳児レベルにとどまるのだとか。これまた衝撃的でした。ただ、耳が聞こえないってだけじゃないんやな〜。

なんか切なくなってきたべ。ビール呑もうっと。
posted by デンスケ at 23:50| Comment(8) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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