2010年10月29日

英語ことはじめ

ワシは英語をやったんは"I have a pen"(ニュークラウン)が初めてだし、ちょこっとばかし英語が得意科目だった高校時代も特にできるっつうわけでもなかった。なんせセンター試験はおろか、共通一次すら導入前だった受験生だった。偏差値の意味がわからなかったんだぞ。だから、ワシの高校時代の英語力は測定不能であります。憶えているのは、いっつも70くらいだったいうこと。もっとも、母集団の数が違うから現在的な評価とは比較のしようがないですね。

で、大学へ行ってこれは経済学部だったのでまるで英語に用なし。教養課程で英語は終わり。ゼミでテキストが洋書だったので多少の付き合いはありましたけど。

んで、25年くらいの空白があってなんで英語への興味をつなぎとめられたのかというと、まるで「勉強」とは関係ない洋楽やら趣味の海外小説やら・・・。もっとも後者は翻訳で読んでたから、直接には英語には関係ないといえるかも。前者はこれで英語が好きになったから、足を向けては寝られない。わけわからんまま丸覚えした歌詞の意味がいまごろわかったりして、ううむと唸ったりしてるけど。

海外小説は直接に英語力には結びつかなかったかもしれないけど、いろんな海外の知識を仕入れるのに役立った。純粋に英語力を高めていくタテの方向と、海外の事象に関するというヨコの方向が外国語学習には絶対に必要だと思ってる。繊維だって、ヨコに織糸を入れることで補強されるのだ。

で、何をトチ狂ったのか英語の学習を始めて、横糸からタテを補強していく方向を採ったわけである。というとなんかよさそうだけど、ただ単に読みまくっただけ。この間、「日本語で書かれた」参考書は一切見ていない。英語をしたいのなら、英語に触れればよいというすごく単純な発想っす。いまだに、英語と日本語が混在する本を見ると、日本語の部分が「文字化け」したみたいでひどく読むのにシンドイものがある。で、英検の問題集は単語以外やらなかったし、TOEICの問題集やるのもツライもんがある。(これはいいわけ。TOEICは英検みたいに知識でやりくりできる部分が少ない。裏を返せば、海外に対する知識を増やしたほうが英検には役に立つってことだろう。)

ワシみたいなやり方を採るかたは少数派かもだけど、海外のことに興味があればかなりショートカットできる気がする。それが本当の英語力かどうかは疑問があるけれど・・・。

むかし、「英語の新しい学び方」(松本亨)という本があった。1965くらいの本で講談社新書から出ていたがもう絶版。この本に書かれてるスパルタンな内容はとても真似できないけど、面白いのはとにかく読め、で、「辞書は引かなくて良い、どうしても必要があるのなら英々で」というところですね。新しいどころか、半世紀前に書かれた本なんだけどいまだに通用する部分が多いなあ・・・。

リスクが大きすぎるんだろうね、「とにかく英語に触れる」てのは。日本では英語は試験と無関係な形態で存在しにくいから、確実な方法を選択せざるを得ない。ワシみたいに試験を受ける必然性もない物好きな暇人しか、「なんでもいいから英語に触れる」方法は取りえないのかな。

農耕民は遊牧民の自由さに憧れるし、遊牧民は農耕民の確実さを羨ましく思える。結局、このふたつを併せ持つタイプが支配者になれるんだろうなあ・・・。ワシも毎日ドリルやってるけど、「これが芽を吹くのか」という疑念が付きまとって離れない。以上、かなり正直な実感です。

さてワシにもう40年に近い呪いをかけ続けてる、中学生のときに聞いた曲。この演奏を聴いて洋楽に興味を持ちました。初めて聞いたときの、下半身のムズムズ感をいつまでも持っていたいと念願してます。

posted by デンスケ at 21:36| Comment(4) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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